先月、事務所研修を行いました。訪問場所の1つが「震災遺構 荒浜小学校」でした。そこは、東日本大震災(2011年3月11日、以下「震災」)で被災した仙台市立荒浜小学校(以下「荒浜小」)の校舎を震災遺構として保存・整備した施設です。荒浜小は海岸から700メートルの海沿いにあります。震災では高さ4.6メートルの津波が押し寄せ、校舎2階の床上40センチまで浸水する大きな被害を受けました。
震災当日には、児童(90名)、教職員、近隣住民など全部で320名が校舎(4階建)に避難し、ほぼ24時間がかりのヘリ移送などにより、避難した全員が救出されました。一方、周辺で亡くなった方も200人近くいらっしゃり、その中には荒浜小に避難していなかった児童1名も含まれます。避難した全員が救出されたことにホッとしつつも、避難できずに亡くなった方の事情を想像し、いたたまれないような気持ちにもなりました。
荒浜小を訪れた日は、震災から丸12年が過ぎようとする日でした。校舎内には当時の掲示物がそのまま残されている教室もあり、あと1週間で卒業式という教室の様子が現在の自分の時間軸と重なり、色々と考えが広がりました。一番印象的だったのは「みんなの願い 六の一憲法」という当時の掲示物でした。模造紙に手書きされたそれは「第一条 いじめと暴力は絶対にやめよう。やめさせよう。(言葉の暴力、無視も。)」から始まる17条の「憲法」でした。末尾に平成二十二年四月十二日とあり、おそらくこれが「公布・施行」の日でしょう。4月の第2月曜日にあたるこの日付から想像すると、学期初めにクラスで話し合って作ったようにも思えるし、担任が作ってきたものをクラスで確認しあったようにも思えます。前者であればよりステキだな、などと考えながら、当時の6年1組の雰囲気やそこを襲った津波の恐怖に思いを馳せました。
荒浜小のような「震災遺構」を作る意味はどこにあるのでしょうか。それは、自然の力が圧倒的に大きく、人間の知恵や工夫など小さなものに過ぎないことを忘れずにいられるようにする、というところにあるのではないでしょうか。自然を制御できるとか、コントロール下に置いた(アンダー・コントロール)などと考えるのは思い上がりでしょう。日常目にする規模を大幅に超える自然現象が繰り返し起きる現実のもとで、どのような社会を作っていくのか。快適さや便利さ、利益や富よりもヒトが死なないことのほうが大事なのではないか・・・、そんな思いを巡らせる私を乗せ、マイクロバスは静かに出発するのでした。
(事務局 中河)