2023年8月23日、櫻井昌司さんがお亡くなりになった。享年76歳。20歳からの29年を獄中で過ごした。無罪判決を勝ち取るまでに44年の月日がかかり、その後、国家賠償を勝ち取ったときは、74歳になっていた。「えん罪布川事件」は、櫻井さんの人生そのもの。理不尽と闘い、正義を貫いた。その一部でも共に闘えたことは、弁護士としての誇りである。
初めて櫻井さんに出会ったのは、25年前。私は、まだ司法修習生という立場だった。とにかく明るく、悲壮感など微塵も感じさせない姿に、正直驚いた。時に悲観的になる弁護団に、櫻井さんは「大丈夫。勝つよ。」と笑顔で言い続け、本来、依頼者を元気づけるのが弁護団の役目であるはずなのに、不思議な逆転現象が起きていた。そして、櫻井さんの言葉どおり、裁判所は、櫻井さんの主張を全面的に認めた。いつでも前向きに、ひたむきに、真実という武器をひっさげて闘う櫻井さんの姿に勇気づけられたのは弁護団だけではない。全国のえん罪犠牲者の方々も、自らの闘いにパワーをもらい、くじけそうな心を支えられたにちがいない。いつしか櫻井さんは、「布川事件の櫻井さん」の枠を大きく飛び出し、全国のえん罪犠牲者のリーダーとして、大きなうねりを作り出す存在になっていった。自分の闘いを続けながら、全国を飛び回り、犠牲者を励まし、支援者を鼓舞する、その姿は、まさにえん罪界(そんなものがあるとすれば)の英雄である。そんな立場になっていっても、櫻井さんは自分一人で闘ってきたわけではないということを忘れなかった。売れっ子タレント並みに忙しい中でも、近くまで来たから、とフラッと事務所に現れ、近況報告をして帰って行く。わざわざ途中下車をして。そんな櫻井さんに会えることを、みんなが喜んでいた。
人生の最終盤、櫻井さんの闘いは、えん罪仲間を救うこと、そして、今後のえん罪被害をなくすこと、そのための司法改革を実現することにシフトチェンジされた。立ちはだかる壁はとても大きく、そこに病との闘いも加わったのだから、強靱な櫻井さんもさすがにしんどかったはずである。それでも最後まで歩みを止めることなく、世に訴え続けた。これ以上、えん罪犠牲者を生み出してはいけない、と。そのために再審法改正が絶対に必要だと。誰もが、この最後の闘いで、きっとまた櫻井さんは勝利をおさめるであろうと信じて疑わなかった。だから、櫻井さんの訃報は、本当に本当に衝撃だった。
櫻井さんを失った今、私たちにできること・・・櫻井さんの想いを受け継ぎ、世に広くえん罪被害根絶を訴え続けること。きっと櫻井さんが天から笑顔で「大丈夫、勝つよ。」と声をかけ、見守り続けていてくれると信じて。
(弁護士 福富 美穂子)