2024年9月26日、いわゆる袴田事件について、袴田巌さんに対して再審無罪判決が言い渡されました。そして、2024年10月9日、検察は上訴権放棄を行い、袴田さんの再審無罪判決は確定する見通しです。
袴田事件とは、1966年に発生した強盗殺人事件について、元プロボクサーである袴田巌さんが(実際には犯人ではないにもかかわらず)犯人とされ、死刑判決が確定した事件です。長年にわたり、「再審」(やり直しの裁判)を求め、2023年3月に「再審開始決定」(やり直しの裁判を行うという決定)が確定し、ようやく今回の再審無罪判決につながりました。一度死刑判決が確定した事件について再審無罪が言い渡されるのは5件目となります。
今回の再審無罪判決からもわかる通り、「えん罪」は机上(=抽象的な可能性)の話ではなく、現実に存在します。そして、今の日本の裁判制度では、その「えん罪」をただすためには、数十年単位の時間が必要となり、その人の人生を奪ってしまうのです。袴田巌さんに対する再審公判無罪を受けて、私たちは、この問題に真剣に取り組むべき時期に来ています。
こうした課題に対して、私たちがまず考えなければならないのは、どうすれば、「えん罪」をなくすことができるかということだと思います。しかし、それはそう簡単ではありません。例えば、袴田巌さんは「えん罪」で「死刑」判決をうけています。死刑という人の命を奪う判決(=最も慎重に検討されているはずの事件)ですら誤りが起きているという現実があるということです。また、今回の再審無罪判決でも触れられている通り、警察・検察ですら、事実上証拠を「捏造」(=事実でない・存在しないことを、「故意で」事実である・存在するかのように仕立て上げること)することがあるのです。いくら裁判を証拠に基づいて公正に行ったとしても、そもそもの証拠が捏造されたものでは「えん罪」はなくなりません。そして、様々な思惑や力関係、見込んだ結果を得るという目的その他の事情により、証拠を捏造する捜査員を完全に排除することはできません。世界を見渡しても、完全に「えん罪」を防ぐ制度を構築した国はありません。「えん罪」を少なくするための努力・制度改善は必要ではありますが、完全に「えん罪」をなくすことは、(少なくとも今日現在は)「できない」と言わざるを得ません。
そうすると、次に私たちが考えるべきことは、「えん罪」が存在することを前提にどのように制度を改善していくかということではないでしょうか。今回、袴田巌さんが無罪判決を得たのは、「再審公判」(=やり直しの裁判)です。この手続自体は、昨年の3月に開始することが決まり、約1年半の時間をかけて結論がでました。しかしながら、この「再審公判」を行うかどうかの判断=「再審開始決定」までにはさらに長い時間がかかっています。実際、袴田巌さんに対する死刑判決の確定が1980年でしたので、実に、43年間、「再審開始決定」を得るまでに時間がかかっていることになります。これでは、「えん罪」が是正されるまでに時間がかかりすぎてしまっています。
こうした時間がかかる原因は、単に一つの裁判に時間がかかるからではありません。袴田巌さんに対しては、これまでに何度も再審開始決定(=やり直しの裁判を行うという決定)がなされてきました。しかしながら、再審開始決定を不服として検察官が不服申立をしたことにより、その審理がやり直しとなったことで、ここまでの時間がかかったのです。そもそも、再審開始決定を得ることはそう簡単なことではありません。新たな証拠の発見などによって、裁判所が、過去に行われた有罪判決が間違っていると考えるからこそ再審開始決定がなされるのです。一度確定した裁判を覆すわけですから、当然、法律上の厳しい要件が課されています。再審開始決定はそれを満たして初めて出されるものです。さらに言えば、裁判所は、過去の裁判所の下した判決を自ら否定することになるわけですから、そのハードルが高いことはいうまでもありません。それでも、あえて、やり直すべきとするのですから、相応に重大な決断・判断であるといえるでしょう。そうである以上、一度行われた再審開始決定を軽視すべきではありませんし、もし、検察が、その再審開始決定自体が誤っていると考えるのであれば、その後に控えている「再審公判」(=やり直しの裁判)で再度有罪の判決を求めることが本来あるべき姿です。少しでも早く「えん罪」を是正するためにも、一度「再審開始決定」(=やり直しの裁判を行うという決定)が出た場合には、それに対して検察官が不服申し立てをすることはできないという制度に変更することが必要です。
また、現在の法律では、「再審公判」を行うかどうかの判断=「再審開始決定」を得るための手続についてほとんど定められていません。その結果、その手続を担当する裁判官によって、対応がまちまちになりますし、裁判官も依るべきルールがないという状況です。特に、再審をするかしないかの判断に当たって、捜査機関が有している証拠は重要な判断材料となりますがその取扱いや開示をするための手続についても定めがありません。捜査機関が裁判所に提出していない証拠の中に「えん罪」であることを裏付ける資料がある可能性があるからです。実際、袴田さんの事件では、その手続の中で開示をうけることができた写真に関する資料(ネガ)が、いわゆる5点の衣類の矛盾を発見することにつながり、今回の再審無罪につながっていますし、多くの再審無罪事件では、こうした証拠の発見が無罪への道を切り開いています。そうした証拠の開示の定めがないこと、手続のルールが決まっていないこと自体が、「えん罪」の是正を妨げることになりかねません。証拠開示を含めた手続のルールを法律で定めることが必要です。
そして、「えん罪」が存在することを前提にどのように制度を改善していくかという観点で、もう一つ考えなければならないのが、「えん罪」による「死刑」という可能性を残してもよいのかというかという問題です。袴田巌さんは、再審が認められなければ、そのまま「死刑」となっていました。そもそも、法律上、死刑執行については、判決確定から、6か月以内に行うという定めが存在し、袴田巌さんにおいても、「えん罪」によって死刑となる現実的な危険がありました。いうまでもなく、「えん罪」によって長期間身体拘束を受けること自体、許されないことです。しかし、死刑=命を奪うということは、身体拘束とは質的に異なるものであり、「えん罪」が存在する社会・司法制度のもとにおける「死刑」制度自体についても問い直さなければならないのではないでしょうか。
弁護士会や各地の市民団体の中では、こうした時代における「再審制度」や「死刑制度」について、改めて問い直し、法改正を目指す議論が始まっています。袴田巌さんは、ある日突然、「えん罪」によって人生を奪われました。「えん罪」は他人事ではありません。ぜひみなさんも、自分が、自分の両親が、自分の子どもが「えん罪」によって捕まる可能性があることを現実のものとして考えてみてください。そのうえで、本当に今の司法制度・社会制度のままでいいのか、再審や刑事司法について法改正の必要性について、関心をもっていただければと思います。
(弁護士 小川 款)