警察官や検察官の活躍する姿を描いたドラマがある。主人公は大抵「正義の味方」だ。私はそんなドラマを心から楽しめない。それは「正義」とは程遠い警察官・検察官の姿、えん罪事件における彼らの姿を思い出してしまうからだ。
昨年(2016年)10月に『ふたりの死刑囚~再審、いまだ開かれず』の上映会があった。「袴田事件」と「名張毒ぶどう酒事件」についてのドキュメンタリー映画だ。主人公は袴田巌さんと奥西勝さん。それぞれの事件で犯人に仕立て上げられ、半世紀も獄中に閉じ込められた。袴田さんは、2014年に静岡地裁が裁判のやり直しを命じる決定を出し、やり直し裁判(再審)の開始を待ち続けている。奥西さんは、2015年に獄中(八王子医療刑務所)で病死した。
両事件に関わる検察・警察の説明は納得しがたい。例えば、袴田事件では、犯行の着衣とされる血染めの衣服が味噌のタンクの底から見つかった。袴田さんに着せてみるとサイズが小さすぎて着られない。すると検察は「衣服が味噌の中に漬かっていたため縮んだ」とした。野菜の漬物は水分が抜けて縮むが、衣類が本当に縮むと考えたのだろうか。名張事件で検察は、ぶどう酒の王冠の傷痕を、開栓時に奥西さんの歯で付いたと主張した。後になって、この主張の根拠とされた写真は、倍率を操作したインチキだったと分かった。
福富弁護士が書いているが、布川事件でも同様のことがたくさんあった。布川国賠での「洪水で流出した」を聞いた時には、どこかの国の言い訳を思い出した。
私たち市民が警察・検察に権力を与えているのは、彼らに「社会正義を実現する」という役割を期待しているからではないか。彼らにその役割を逸脱させないために、どうすればいいのか。それを考える責任は私たち市民にあると思う。
(事務局 中河)